きいちこです。
日本には、四季があります。
四季のうちでも一番季節を感じることができるのは、春じゃないかな~って思います。
僕は沖縄で生まれ育ったため、高校を卒業して沖縄を出てから春という季節を肌で感じ、素晴らしいって思えるようになりました。
初めて参加したお花見は、忘れることのできない感動があり、今でも鮮明に覚えています。
今年の春は、コロナウイルスの影響でお花見や歓送迎会などのイベントが全国的に自粛されていて少し寂しい春の到来となっています。
最近の春は、僕にとって寂しさを感じる時期です…
今日は、僕の妻が天国に旅立った日のことを記しておこうと思います。
少し長くなるかな?悲しい気持ちになるかもしれないので、読みたい人だけ読んで頂ければと思います。
妻が天国に旅立ったのは、今から2年前の2018年4月6日(金)のこと…
大きな前触れもなく、33歳という若さで逝っちゃいました。
転勤族の僕ら家族3人は、当時徳島に生活の拠点を置き暮らしていました。
徳島の支店に勤務していた僕ですが、1月中旬~7月上旬の約半年間、仕事の都合で家族を徳島に残し、広島県に単身赴任することになったのです。
広島と徳島の距離は300㎞ほどです。車で約5時間というところです。
週末に帰れない距離でもありませんが、お金も時間もかかるので、月に1回くらい帰れればいいかな~って感じでした。
2月の3連休を利用し、1回目の徳島帰りをしました。1ヵ月もたっていないし、そんなに新鮮さもなく、家族と久しぶりの時間を楽しく過ごしました。
3月上旬、春の転勤が決まった時期で、ちょうどお世話になった徳島の職場の送別会が週末実施されるということで、週末を利用して2回目の徳島帰りをしました。金曜の17時に仕事が終わり、洗濯を済ませ、20時過ぎに広島を出発しました。中国道はそんなに渋滞もすることなく、予定通り日が変わった土曜日の1時頃徳島に着きました。「先に寝てていいよ~」って妻に言っていたのですが、妻は起きて待っていてくれました。土曜日は、朝から買い物、家族でランチ、夕方から職場の送別会という結構忙しい日でした。翌日、日曜日は、久しぶりに家でゆっくり、家族との楽しい時間を過ごしました。日曜日の14時頃、広島に向けて僕は出発することとしました。窓から、僕の出発を見送る妻と子供…
この時が、元気な妻との最後の別れとなりました。3月11日のことでした。
数日後、妻は咳が止まらないとのことで、行きつけの病院に受診しました。すると、肺炎の可能性があるとのことで、入院することになりました。妻のことも心配でしたが、僕も妻も一人で友人宅にお留守番している3歳の娘のことが気がかりな状況でした。幸い、母が仕事を休んで徳島に駆けつけてくれるということになりました。3月23日のことでした。
それから、4日後…3月26日のこと。酸素量が不足しているので、施設の整った病院のほうが良いだろうとのことで、妻は市内の大きな病院へ転院することとなりました。僕の母に変わり、義母が徳島へ駆けつけ、子供を見てくれるようになりました。僕も週末帰ろうと思っていたのですが、妻から「義母も来ているし、お金もかかるし、自分は大丈夫だから、帰ってこなくて良いよ」とのことでした。僕もちょうど、忙しい時期で、週末も打ち合わせや仕事が入っている時期だったので、義母に甘え広島で週末を過ごすことが2週間ほどありました。妻の容体は、良くなることもなく、悪くなることもなく、時間だけが過ぎて行きました。
義母も母も仕事をしており、休みは3~5日が限界な状況で、二人が交互に徳島に出入りし、子供の面倒を見つつ、妻の病院へ通う日々が続きました。しかし、どうしても2人とも徳島に来れない日が発生し、僕も仕事を休めない状況であったため、子供はしかたなく数日施設に預けることになりました。僕も妻も子供のことが心配で心配でたまりませんでした…4月4日のことでした。
4月10日は、娘の幼稚園の入園式があり、妻は何としてもその日までに退院したがっていました。それは、病院の先生にもお願いをしていて、妻からは「4月6日(金)の検査結果が良ければ週明けには退院できるかも」という連絡が入っていました。僕も、その連絡を見て快方に向かっているものだと勝手に思い込んでいました…4月5日のことでした。
4月6日、おはよ~とラインを送ると「おはよー。夜中に体調が悪化して個室になったー。ごめん」という返信が入りました。「えっ、大丈夫?」と送ったまま、返事は来ませんでした…。
その日は、朝から法律関係の講義を受講していました。
10時をまわったころでしょうか、講義中にいきなり上司が入ってきて、「すぐ病院に電話せよ」と書いた紙を渡してきました…
妻に何かあったのか⁉と心臓が高鳴ります…
マナーモードにしてあった携帯を開くと多数の着信が…
病院にかけるも、先生と繋がらず、状況が分かりません…
同じく着信の多数あった母に電話をかけると…
空港の雑音が混じるなか、母から「妻が心肺停止になった」ということを聞かされました…
何が起きているのか理解できませんでした…。
急いで新幹線に飛び乗り徳島へ向かいました。道中、携帯で病院の先生の話を聞いたり、派遣元の徳島の職場に電話をしたり、臨時勤務先の上司に途中経過を電話したり…
一通りの電話連絡が終了したところで、状況の整理を行おうとしましたが、状況がさっぱりわかりません。さっきまで、電話で上司や同僚に話していた内容の理解ができないのです。
しばらくの放心状態が続いたのち、こみ上げていたものが一気に溢れ出し、涙がポツポツと流れ始めます。何を考えたわけでもなく、何を思ったわけでもなかったのですが、自然と流れ出てくる涙が止まりませんでした。岡山、高松で電車を乗り換え、広島から約5時間の移動になります。3時間以上も涙が止まることはありませんでした。僕の中の水分が全て流れ出てしまうんじゃないかというくらい涙が止めどなく流れていきました。
徳島駅についたのは、17時過ぎです。徳島の職場の上司が駅まで迎えに来てくれていました。
車は、5分ほどで病院に到着しました。
玄関先で、僕を待つ弟が焦らせます…。
急いで、エレベータであがり、集中治療室に入りました…。
妻は、口に管が入れられた状態で心臓マッサージを受けていました…。
僕は、人を助ける仕事に従事した経験もあり、人間の状態というのは勉強や訓練、現場での経験から、ある程度察知することはできました。また、心臓マッサージを行い蘇生する可能性がある時間もある程度知っていました。
妻が、8時30分頃心肺停止となって9時間近くが経過しています…。
目は潤いを無くし、肌は乾燥、血の気は無く、やや冷たく、皮膚の弾力はない…。
医師の心臓マッサージに合わせて波打つ心電図…。
一瞬で状況を認識することができました。不思議と先ほどまで流れ出ていた涙は止まってしまっています。周りで、泣き叫ぶ家族と訳も分からず母親にいたずらして笑っている娘…。
僕は、ドラマでも見ているのかという錯覚に陥ります…
しばらくして、個室に入り担当医の説明を受けます。
入院後の経過、当日の状況、現在の状況、推測される原因…
先生は、懇切丁寧に図や絵を用いて説明をしてくれます。ですが、僕の思考は完全に停止し、どのような説明も全く頭に入ってきません…
そして…
最後に、これ以上心配蘇生法を続けても息を吹き返す可能性は低いことの説明がされ…
心肺蘇生法を続けるか?辞めるか?の判断を委ねられました…。
答えはわかっていたものの、口に出すことができませんでした…。
汗、涙、鼻水、体の穴という穴から何かが噴出し、体が震える、そんな状態でした。
同席している両親たちも泣き崩れており、苦しい時間が流れました…。
決断できるのは僕しかいません…。
自分をなんとか落ち着かせ、先生の説明をゆっくり思い出しながら、自分自身に言い聞かせるように、整理しながら、妻の両親に話しました。そして、心配蘇生法の取りやめを申し出ました…。
あとは、ドラマとかでよく見るシーンです。
家族ひとりひとり、僕の妻に最後のお別れの言葉をかけます。
そして、最後に僕が妻に言葉をかけ…心臓マッサージをしてくれている医師たちに「お願いします」と告げました。
心臓マッサージを止めると、心電図がピーっと一本線になりました。担当医が瞳孔の開きを確認し、時間を確認しました…。2018年4月6日17時54分のことでした…。